2014年 06月 19日
小樽へ
それにしても、北海道の道路ってすごい!
どこまでも長く続く一本道は豊かな土地に恵まれた北海道ならではの自然を満喫出来る道。
小樽では、ご近所様に伺っていた行きたいガラスのギャラリーがありました。
観光客が必ず行く有名な北一ガラスではありません。
ちょっと迷いながらも行き着いた高台にあるThe Glass Studio in Otaru
手づくりの透明なガラスの器を見ているだけで何となく幸せな気分になれました。
小樽まで来て、記念に選んだ食器は、また別の機会に、、
小樽の街も函館同様、かなりの急坂に住宅が建ち並んでいます。海を見下ろす素晴らしい景色のおうち、、
でも、、、、この坂、、お年寄りにはかなりきついんじゃないかしら、、、って思う私も、、お年寄り?
小樽は小樽商科大学という名門校を擁している商業で栄えた街です。
港から物資を運ぶために通っていた線路、、今は使われていませんがとても風情がありました。
線路脇には美味しいサクランボまで!ひとつ頂いちゃいました!
小樽に来たら小樽運河、、ここだけは観光バス、修学旅行生でごった返していました。
函館は赤煉瓦の倉庫でしたが、小樽の倉庫群は石造り、、見かけは大谷石や御影石のようですが、これは札幌軟石で、支笏湖周辺の火山噴火で起った火砕流が札幌近郊まで到達し,それが凝固したものだそうです。切り出しやすい石で、明治から昭和に掛けて小樽の倉庫群やキリスト教会などの建造に使われています。
函館同様、倉庫群はレストランや土産物屋さんに改造。
昼食は友人の行きつけの美味しいお寿司屋さんに行きました。
地元で穫れるお魚や、新鮮な魚介類のネタはもちろん、握って下さった板前さんとの会話が絶妙な間合いで、心地よかったです。
ウニも初めて塩水ウニというのを知りました。二種類をまず、食べ比べて好きな方をお出しします、、と。ソイ、ハタハタ,姫マスなどのお寿司は初めてでした!
一貫ずつ出して下さってシャリの加減もいいので、いくらでも頂けそうでした!
多分、、1人20貫は食べたんじゃないかしら?1
小樽までこのお寿司を食べに来たい、、、と思わせて下さるお店でした。
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by june-jolly
| 2014-06-19 09:49
| お出かけ
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2014年 06月 18日
仙台→新青森→函館→札幌
北海道は飛行機で行けば東京からも1時間半ほど、、それを列車で行くと何時間かかるのか?
今回のパスはグリーン車乗り放題なので、長時間でも疲れないかな、、と。
仙台ではもちろん!牛タンを頂きました。
とろろと麦飯は定番、プラス牛テールスープがついてました。
これは絶品!最後にお雑炊にしちゃいました!
新青森までは東北新幹線の「はやぶさ「に乗車。はやぶさは新幹線の国内最速の320km/hで走ります。
盛岡までは秋田新幹線の「こまち」と併設。これって、とっても可愛いですよね!
グリーン車はおしぼりとドリンクサービスも!
新青森からは特急スーパ白鳥で函館まで。
津軽海峡を海底トンネルで通過する時はちょっと緊張しました。でも、地震や津波の影響って海底の方が安全なのかしら?青函トンネルに入る前にこれかな?って撮ったら、違いました!
函館着はちょうどお昼頃、、まずは函館朝市の食堂へ!
ツレアイの目的はもちろん、これ!ウニ丼と鮑
函館と言えばこれ、いかそうめん!
私はネタを選んでこれを、、何もかも新鮮で美味しかった!
函館の街に観光客はいましたが、地元の方はほとんど見かけませんでした、、どこに?
坂の多い街で、赤煉瓦の倉庫街は今はレストランやお土産ものを売る店になっていました。
これが元祖『森ビル』?!
マンホールの蓋までイカ、イカ、イカちゃん!
函館で食べて、散歩して、、、特急スーパー北斗で札幌へ!
白鳥と北斗が並びました。
仙台から札幌まで、長い一日でしたが、本州から北海道に入った途端に空気や、風、空の色の違いをしっかり体感出来ました。
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by june-jolly
| 2014-06-18 19:14
| お出かけ
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2014年 06月 17日
被災地初訪問。
旅の初日は昨年結婚した息子のお嫁ちゃんの石巻のご実家訪問。
仙台から石巻に行く仙石線は今だに高城町駅 - 陸前小野駅間は東日本大震災の影響により不通なので、今回は仙台から石巻行きの高速バスを利用しました。
お嫁ちゃんのご実家も一階まで床上浸水、停電、水道なしが2週間ほど続き、その後、5月からはご自宅で120食分の昼食、夕食の給食配布を一ヶ月以上続けられたそうです。
昼食後、まず石巻港に行きました。漁港だけではなく、製紙工場のためのパルプや原木の工業港でもあります。
今は夏草が生い茂る海沿いの空き地、、そこにはたくさんの家があり、人々の暖かな営みがあったのです。
石巻は死者行方不明合わせて4,000人余り。(2011年現在)
車窓から見えた鉄屑の山。津波のがれきの一部です。
石巻港は今、かさ上げ工事が進んでいました。
高台のお寺の公園から見た石巻市街地。豊かな流れの北上川も氾濫、今は堤防改修中です。
その北上川の川岸にあった大川小学校。
全校児童108人の7割にあたる74人が死亡、行方不明となり
河口から4kmも内陸に位置していたにも関わらず、津波は学校の屋根まで押し寄せたそうです。
石巻を訪問する人が見に来る激励看板。
今では周囲は緑地のような佇まいですが、津波に襲われた直後はこの状態。
漁港からここまでは数百メートルでしょうか、ここでの津波の高さは、7m近い。
7m近いパワフルな波が文字通り怒濤のように押し寄せ、一瞬にして町を飲み込んでしまったのです。
石巻港から津波の被害が大きかった女川町へ連れて行って頂きました。
その日、高台の病院からみた女川の入り江はとても穏やかなきれいな海でしたが、その光景の中で目に入った建物を見た瞬間、胸をわしづかみされたようなショックを受けました。
コンクリートの建物が完全にひっくり返っています!
この美しい入り江を襲った津波は人々が避難した高台の病院にまで押し寄せたそうです。
病院の駐車場に慰霊碑がありました。女川町の人口の55.9%の方が亡くなったか行方不明だそうです。被災者の証言は本当に生々しいです。
小さな入り江から入り込んだ津波はどんどん増幅して三角州のような女川の町を一気に襲ったのです。
すでに倒壊した家屋やがれきは一掃され、宅地のための造成が始まっていました。
海からかなりかさ上げするために盛り土をしなくてはなりません。
石巻から女川町への狭い一本道を土ぼこりを巻き上げながらたくさんのダンプや工事車両が行き交っています。
震災前の活気のある町が再生されるまでは何年かかるのでしょう。
生まれ育った故郷の町を終の住処と決めて穏やかに暮らしていたお年寄りは不自由な仮設住宅でいつまで過ごせばいいのか? 仕事のない町からの人口流失は甚大です。
この状況が東北の至る所で続いています。
東京ではオリンピックに向けてあちこちで大規模な施設工事が始まろうとしています。
資材や人手が東北から東京に流れてしまわないかとても不安です。
東日本大震災の記憶の風化が叫ばれている今、私が自分の目で見てきた被災地とその後の状況を少しでも皆様と共有出来れば幸いです。
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by june-jolly
| 2014-06-17 11:00
| お出かけ
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2014年 06月 14日
梅雨の晴れ間に、、
梅雨の晴れ間に久々のお出かけ、、迫力満点の夏雲に目が奪われます。
積乱雲はやはり夏の風物詩、でも、この中に雷様が潜んでいるんですよね。
帰りはやはりポツポツやってきました!
買い物帰りのランチは中華。ツレアイは大好物の黒ごま坦坦麺
私は海鮮焼きそば、、パリパリが好き!
今冬は大雪に見舞われましたがそのせいか(?)植物のエネルギーがすごい!森がいつの間にかジャングルになってしまって、、
昨年は20個ほどしか摘果しなかったプルーンが今年はいっぱい実を付けてくれたのですが、、、
よく見ると、、あれぇ〜〜あぶらむしが付いてます!慌てて痛んだ葉や枝を落としましたが、、今年はプルーンジャムを作りたいので頑張って熟して欲しい!
そしてブルーベリーも順調に育ってます。
育ってるのはミズナラ、コナラの新芽も!
昨年のドングリの異常発生で雪解け後、ドングリが元気に芽を出して、どんどん育っています!
この子たちも何十年後かには、、、
こんなになるのです。
自然界にも生の輪廻があるのですね。ささやかながらお庭で植林しています!
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by june-jolly
| 2014-06-14 23:15
| お出かけ
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2014年 06月 12日
梅雨の合間に、、
標高が高いおうちでは雷鳴が横に流れます。ベートーベンの「運命』さながらにダダダダ〜〜〜ン🎶
ティンパニーがかなりの迫力です!今も遠雷が轟いています。
6月の初めに真夏の暑さが続き、乾ききった森に今度は十分すぎる恵みの雨、、
ホワイトレースに白い蝶々が、、
大好きな二輪草も咲き出しました。
美味しいそうですけど、、蛇イチゴ、、
うちの夏のお花は白、ブルー、紫がほとんど、、
小さなあやめちゃん
今年もブルーベリーは元気に実を付けてくれそうです🎶
梅雨の晴れ間に大好きなガーデンにLAからの友人をお連れしました。
ここのガーデンでは伸びやかに自然なままでお花が管理されています。
虫さんも嬉しそう、、
雨は植物には恵みの雨、、当分は水やりをしなくても大丈夫そうです。
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by june-jolly
| 2014-06-12 23:56
| 自然
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